2009年05月19日

私が築きたい「昭和の農村」の気分


宮本常一著『家郷の訓』からの抜粋。

私が築きたい「昭和の農村」がここにあります。

●1

祖父はかならず毎朝東に向かって拝む。

それは丁重をきわめたものであった。

この時私もまたかならず拝まされた。

これは一日が安穏にすごせるようにと祈るのである。

夜はまた夕飯がすむと、ヘヤにある神棚に灯明をあげて一日の無事に送られたことについて感謝の言葉をのべた。

●2

母は絶対に私の枕許を通らなかったし、私の寝ている上を跨いだことがなかった。

食事する場合でも先ず神仏にお供えをなし、次に父や祖父や私が箸をとらなければ箸をとることがなかった。

神様へのお供えはどのように忙しくても一日を欠かしたことがない。

**

いかに小さい魚でも、頭は食べても尻尾はたべさせなかった。

そうしてまた食べている時箸の先をかんだり、身を微動させたり、茶碗のふちを叩くことを極度にいましめた。

そういう動作はすべてゲサク(下品)であって凡愚のすることだと教えた。

一見きびしいようだったけれども、そこには深い慈愛がこもっていた。

●3

傍で祈っている女親の低いしかし迸り出る熱い声を聞いた。

旅にいる子供の名をつぎつぎによびあげて、「どうぞマメ(健康)であるように息災なように。

もし病気になるようなことがあったら、どうぞこの私をかわらせて頂きたい。

たとえどのような苦しみをうけましょうともよろしゅうございます」というのである。

私はその時思わず涙をおとしてしまったことを記憶している。

●4

嫁と姑の一緒に暮す間は至って短くて、長くても十年位、短い時は二、三年という程度である。

このわずかな期間に女はその家の仕来りや家風を学ばなければならなかった。

●5

母の子に対する教育は、子がよく働く人になってもらうことだけでなく、次には神を敬う人たらしめることであった。

夕飯がすんでから神仏にお灯明をあげて拝むのは本家の方ではいつもその家の主婦であった。

今はややすたれているようであるが、夕食後のひとときは、どこの家でも木魚をならして仏様を拝む。

その木魚の音が方々できこえる。

春さきの静かな夜など村を歩くと、この音がまたとなくなつかしく聞かれた。

●6

「わしの考えで買うた山だから、わしの考えで売っても先祖への申し訳のたたぬことはない。先祖からのものには手をつけぬ。」

●7

かつてのよき村人といわれるものは先ず何よりも村の風をよく理解してこれに従うことであった。

つまりその村の色に最もよく染まることであった。

これは一見自らの個性をなくするように見えるけれども、それによってむしろ個性が生かされもしたのである。

●8

笑うべき時に笑い、泣くべき時に泣き、感動すべき時に感動するような感情の表現さえ、村人共通なるものを身につけた。

村々にきまった型の顔があるというのもただ単に顔の形が似ているという以外に、感情の表現の相似ているということが最も大きな意味を持っているように思う。

物の驚き方一つにも字ごとに少しずつの差があった。

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2009年04月15日

「怨霊」について語ろう


大学時代から、よく聖地めぐりをしたなあ。

熊野古道、出雲、吉備路、国東、出羽三山――

どうして、こういうところに惹かれるのかな。

今回は、アニキ今井の問題提起で、怨霊について盛談。

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2009年04月14日

露西亜を語ろう


以前、北方領土元島民を調査しました。

いろいろ見聞したことを通じて思うのは、

大きな国は、格差が極大化して、荒むということ。

これは、大会社と同じ。

大きな会社の社員の方が、格差が広がり、荒みやすい。

国も、会社も小さい方がいい!?


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2009年04月13日

『豊臣家の人々』(司馬遼太郎)


豊臣秀吉って、どうも好きになれない。

理由は、若い頃の英気あふれる活躍ぶり。

天下を取ってからの、下品な醜悪ぶり。

加藤廣さんによれば、秀吉は高貴な血を受け継ぐ「山の民」。

いったい、秀吉って何なんだ?

その答えに、答えてくれる本。




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2009年04月12日

『直江兼続』(童門冬二)


上杉景勝と直江兼続の主従は、語りあった。

おれたちには、都人のような腹芸、寝技はできない。

越後で、しっかりやろうよ。

越後の土地、越後の人々を大切にしよう、と。

カントリージェントルマンで行こうという誓い、

これいいなあ。

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2009年04月11日

『空白の桶狭間』(加藤廣)


「本能寺3部作」はすごかった!

加藤廣さんのデビューは75歳。

60歳から書き始めたとのこと。

桶狭間の「空白」に何があったのか?

ポッドでは、そんへんをすべてしゃべってしまっていますので、
聴くときはご注意ください。

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2009年04月02日

司馬遼太郎著『燃えよ剣』


アニキ今井が好きな龍馬、新撰組。

ぼくはイマイチ好きになれなかった。

その理由が、わかりました。

龍馬、新撰組はドラマっぽすぎるから、

つまり、リアリティを感じられないからだな、と。



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2009年04月01日

司馬遼太郎著『国盗り物語』


斎藤道三の二人の弟子、

それが、織田信長と明智光秀であった。

時代を象徴する「革新」と「保守」の双璧を生みだした道三。

悪名高き、偉大な先覚者・斎藤道三を読む。



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2009年03月31日

山本兼一著『利休にたずねよ』(第2回)


ホントは、熱かった千利休。

お茶飲んでいる爺さんではなかった。

大柄な体躯、女もガンガン。

戦国武将を超える気迫を持っていたから、

彼らが跪いた。

しかし、それだけではない利休の魅力とは?


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2009年03月30日

山本兼一著『利休にたずねよ』

「茶」って、いったい何なのよ?

今では、お稽古事の茶事。

しかし、戦国時代の茶は何かスゴイ。

茶器と一緒に爆死した、松永弾正。

茶器と一国を天秤に掛けた、滝川一益。

茶の湯に命を賭けた彼らがよくわからない。

ところが、本書を読んだら、

茶の精神が少しわかってきたぞ。



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